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1人のバカは1人のバカである。2人のバカは2人のバカである。1万人のバカは「歴史的な力」である

バカは恐ろしい。

新型コロナウイルスで外出自粛が強く求められているにも関わらず、パチンコ店は人であふれ、浜辺はサーファーであふれ、観光地周辺は車の行列ができている。

「バカどもが攻めてくる!」

「バカども押し寄せてくる!」

「江の島もやられたらしい。辺りは蛮族で占拠されたらしい。」

留まるところを知らないバカどもは、まるで、ローマ帝国末期に「ローマによる平和」になじんでいた人々を恐怖の底に突き落とした「蛮族」のようである。

一定数のバカがいることは、古今東西の常ではあるけれど、これは古代ローマの時代ではなく、現代日本の話なのである。

よく「日本人の規律正しさ」とか、「絆のある日本人」などという麗しい表現がなされることがあるが、これが「幻想」であることが改めて分かりましたね。

まあ、大半の人が協力しているのだろうけれど、パチンコやサーフィンは論外としても、マスクやトイレットペーパーの買い占めが起こるなど、日本人は口では心麗しい美辞麗句を並び立てながら、結局は「利己的」なんだなぁと改めて感じました。

それはさておき、バカの話である。

バカほど恐ろしいものはない

第二次大戦を境にした時期のイタリアに、レオ・ロンガネージという名前のジャーナリストがいました。

詳しくは、塩野七生「サイレント・マイノリティ」を読んでいただきたいのですが、ジャーナリストというだけでなく、風刺作家という一面もあったらしい。

そんな彼が残した日記体の著書から引用したのが、記事のタイトルにしたものです。

ファンファーレ、旗の波、延々と続く行進。 一人のバカは一人のバカである。二人のバカは二人のバカである。一万人のバカは、”歴史的な力”である。

この文は、ファシズム時代のイタリアを皮肉ったものですが、現代日本、特にこの新型コロナ下の日本にもよく当てはまるように思うのですが、どうでしょうか。

パチンコ店のファンファーレ、サーフィンの波、延々と続く他府県ナンバーの自動車の行進。 一人のバカは一人のバカである。二人のバカは二人のバカである。一万人のバカは、”歴史的な力”である。

悲しいかな、そう、バカによって歴史は作られる、世の中が変わっていくんですね。これは戦前のイタリアも現代日本も変わらないようです。

どうやら、ゴールデンウイークも「万単位」のバカによって観光地がにぎわう様子が目に見えるようです。

大半の人が、真面目にやっていても、一部のバカによって台無しになってしまうのは、人間世界の現実なのです。

ドイツの作家ゲーテもこう言っていますし。

活動的な馬鹿ほど恐ろしいものはない。

日本の「参謀本部」は・・・

ロンガネージを紹介したついでに、今の日本の状況を言っているのではないかと思う彼の別の言葉も紹介しておきましょう。

自粛、自粛と呼び掛けているにも関わらず、バカが跋扈するのも、元はといえば日本の法制度がないも同然だからです。

そして、諸外国に比べて対策が中途半端・遅いというのを考えても、政府が機能しているとは言い難い。

どうやら、これは第二次大戦におけるイタリア軍も同じだったようで。

ある時、ヒットラーロンメルを呼び、同盟軍であるイタリア軍をどう思うか、とたずねた。将軍は答えた。 「兵士一人一人についてならば、彼らは獅子です。将校はどうかといえば、ソーセージということですな。参謀本部となると、堆肥の山でしかありませんが。」

果たして我が日本の参謀本部は果たして・・・

心もとないなあ・・・

[rakuten no="9784101181073" shop="book" kw="サイレント・マイノリティ改版 (新潮文庫塩野七生"]