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月曜日が憂鬱で会社に行きたくない・・・

また、月曜日がやってきます。また、会社での5日間が始まると思うと、憂鬱でしかたがありません。

「行きたくない、行きたくない」・・・そんな心の声が、発せられ続けています。そして、私はセミリタイアを目指すことを決意したのです・・・

月曜日の朝の憂鬱はひどい

もともと、会社に行きたくないと思っていますが(だから、このブログのタイトルになっているのです)、特に月曜日はほかにもまして、憂鬱です。

通勤中の電車の中でも、「駅につかなければいいのに」とか「事故で電車が止まらないかな」とか、考えて悶もんとしてしまいます。

そんなこと考えていても、どうしようもないのは分かっているのですが、思考を変えることができません。

そして、最寄駅から会社への徒歩。その足取りが重いことは、言うまでもありません。

歩いていて上を見上げれば、空には、きれいな青空が広がっているのに、私のこころは、暗黒に染まっているかのよう。その落差に、ますますイヤになります。きれいな青空を、気持ちよく見ることができないなんて。こんなに、いい天気なのに、会社という牢獄に閉じ込められるなんて。こんな思いをしてまで、会社に行かなければならないのか、生きなければならないのか、そんなことを考えてしまうのです。

ああ、なにもかもから解放されて、ただただきれいな青空を眺めたい、そんな思いから「セミリタイア」を目指すことを決意したのです。

休みの日も憂鬱がつづく・・・

さらに言えば、憂鬱は前の土曜日、日曜日から始まっているのです。

先週終わらなかった仕事、今週に持ち越された仕事、期限が迫っている仕事・・・そんなことを思うと、休みの日のこころを重くなって憂鬱になってしまいます。

休みの日まで、そんな思いをしなければならないなんて、悲しくなります。

そして、アニメ・サザエさんを見ると、憂鬱になるという、いわゆる「サザエさん症候群」ですが、私もり患歴が長いです。エンディングテーマが、物悲しく聞こえてしまいます。もっと、気楽な気持ちでサザエさんが見れたらどれほどよいでしょう。

会社に行きたくないのはみんな同じ

こう書いていくと、いかに自分が自分勝手な甘えたやつだということが分かります。

「会社に行きたくないのは、みんな同じ。みんな我慢して生きるために働いているんだ。甘えたことを言うな」という批判が、目に浮かぶようです。

私も、それは頭では理解しています。それでも、こうした思いがふつふつと出てきてしょうがないから、苦しいのです。

「生きていくため」と言いますが、ではなぜ「生きなければならない」のでしょう。生きていなければ、会社にだって行く必要はありません。イヤな思いをしてまで、生きる必要はあるのでしょうか?

きっと、はっきりと答えられる人は、あまりいないような気がします。みんな、こころの中では、思っていても、そんなこと言えないなあと、こころの中にしまって、見ないようにして生きているのでしょう。

とまあ、そんなことを考えているのです。

「きれいな青空」を目指して

月曜日の朝が近づいてきました。朝が来なければいいのに、と思いながら布団にもぐりこみます。

でも、一日一日をこなしていかなければ、「セミリタイア」を達成する日を迎えることはできません。

セミリタイア」して、きれいな青空をなんのしがらみも感じずに、見上げること、その日がいつか来ること、少しずつその日に近づいていくこと、それだけが今の私の「希望」です。

きっと、セミリタイアしたその日も今と変わらない「きれいな青空」が広がっているに違いありません。そして、その青空を見上げる私のこころも、同じような爽やかな青空が広がっていることでしょう。