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職場の飲み会の幹事という面倒なタダ働きなんてイヤだ!

このブログでも散々書いて(吐き捨てて)きましたが、会社の飲み会の話です。

私はそもそも会社の飲み会が大嫌いです。春の歓送迎会に始まり、納涼会だの忘年会だの、新年会だの・・・考えただけでため息が出ます。

そんなに仲がいいわけでもない職場の人たち(別にその人たちが嫌いというわけではありません。念のため)と、仕事が終わったあとも顔を会わせないといけないのが不思議でなりません。さっさと家に帰りたいのに!

とはいえ、参加するだけならまだマシです。2時間あまりの「苦行」に耐えれば終わるのですから。

ところが、「幹事」になってしまうと、面倒臭さは100億倍(!)です。今年はその幹事になってしまったので、私の憂鬱さもおわかりのことでしょう。

飲み会の幹事のおしごと

飲み会の幹事のやることは、もはや「仕事」といってもよい。まずは、ある程度の日程の候補を決めて、幹部たちの都合を確認することから始まります。

「お忙しいところ、すみません(てめえの都合なんて別に聞きたくもないんだよ!)。今度職場の納涼会を開きたいと思っておりまして・・・(そんなものやりたくないんだよ!)」

それと並行してお店を探さなくてはならない。これがまた面倒くさい。もうどこでもいいじゃん。

そして、席次も決めなくてはならない。お店から部屋の見取り図を入手して、幹部たちの配席を決めていきます(どこに座ろうが勝手にすればいいのに!)

幹部以外は、「くじ」で席を決めることもあります。その場合は、「くじ」を用意しなければならない。(めんどくさー)

また、開会にあたってのあいさつ、乾杯の音頭、中締めのあいさつをしてもらうよう依頼しておかなけらばならない。(このあいさつって必要?)

飲み会の最中は、各テーブルにビールが不足していないか絶えずチェックし、必要に応じて供給しなければならない。(子供じゃないんだから欲しかったら自分でしろ!)

こう書き出してみると、ため息が出てきます。やること自体はたいしたことはないと言えばそうでしょうが、普段の仕事にプラスしてしなければならないので面倒なことこの上ありません。働き方改革というのに、まったくそれに反している。おかしくないか!

しかも、これらはまったくの「ボランティア」、無償奉仕なのです。つまりは、タダ働き。残業代も出ない飲み会のためにタダ働きするなんて、理不尽なこと極まりない。泣けてきますね。

サラリーマンの悲しい慣習

飲み会の幹事の「仕事」を書き出してみてつくづく、サラリーマン的だなと思います。

以前の部署で幹事をやらされたときに、「幹事をやっておくと仕事に役立つよ」などと、「お前にためになるんだぞ」という傲慢なニオイのすることをのたまう人がいました。

たぶん、そういう意味もあるのでしょう。幹事は若手がやらされることが多いと思いますが、そういうことなのかとも思います。

組織で働く上での、「調整」「交渉」「段取り」などをすることになるからです。とはいえ、早い話が会社に都合のいい「サラリーマン」養成カリキュラムということですね。

早くサラリーマンを辞めたい

私は会社の飲み会は、お金と時間のムダでしかないと思っています。よく考えてみれば、いい年をしたオッサンやオバサンが「ワッハッハ」「ガッハッハ」と笑いあい、お世辞を言いあっている光景は気持ち悪い。

お世辞や忖度という「ウソ」がゴキブリのように這いまわっている空間、そこでは誰もが「いい気分」でいることが強制されています。

なんと息苦しいことか。残業代も出ないし、その上幹事までやらされたらまさに「奴隷」ではないのか。

こうした「非生産性」を逃れるためにも、早いところセミリタイアしてサラリーマンを辞めるしかありません。

しかし、とりあえずは目の前の納涼会の準備をしなければなりません。憂鬱でしかたがありません。飲み会や懇親会が一切ない、仕事だけする会社ってないのかなあ。

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