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FPが実践"飲み会やめたら人生が変わる"を読んだ感想

最近こんな記事を読みました。

FPが実践"飲み会やめたら人生が変わる"

このブログでも何度も「飲み会」の非生産性について語ってきました。飲みたい人は飲めばよいのです。しかし、何かといえば「親睦」ということで飲み会をしたがる。それも半ば全員参加で。

親睦といったら飲み会しか思いつかないのかというほどに!別に、一緒に酒を飲んだところでどうなるというのか。結局、なにかと理由をつけて酒を飲みたいだけだろう。

これがなんと苦痛なことか、飲み会が好きな人にはわからないのでしょうね。

結局、飲み会は「時間」と「お金」のムダでしかないというのが私の結論です。そんな私の持論を裏付けてくれるような記事だったので、紹介したいと思います。

「自由」こそ最高の幸せ

この記事の筆者は、次のように語っています。

私にとって「自由」とは、人生における選択肢が複数あること。たとえば、場所にとらわれることなく働きたいし、たくさん旅行に行きたい。美術館で美しいものに触れたいし、読書や映画鑑賞のための時間も欲しい……と、挙げていけばキリがありません。 こうした「自由」をゴールとするなら、健康という土台があった上で、「お金」と「時間」の2つに意識を向けることが不可欠です。

まさにおっしゃるとおりです。自分の人生を自分の好きなように使えること、これ以上の幸せはあるでしょうか。

もちろん、そのために重要なことは「お金」、そして「時間」の使い方です。

お金がなければ、自由に時間を使うことはできません。また、時間も人生が有限であることからお金以上に重要なものです。

時間とは、実はとても貴重なものなのに、みんなドブに捨てるかのように浪費しているのです。その最たるものの一つが飲み会です。

以前の私は、毎日のように何らかの飲み会に参加していました。人脈形成のため、同僚や取引先、友達など、声がかかればスケジュールが空いているかぎり顔を出すようにしていたのです。 (略) 時間の大切さを認識するようになってから、私はそれらをきっぱりと断るようになりました。誘いがあっても、まず「その飲み会は自分の目的に合っているか?」をよく考える。そして、目的に合わなければお断りする。

もちろん、仲のいい友人との気兼ねのない飲み会や食事などは、人生を楽しむという点で有意義なものだと思います。

ここでいう飲み会は、人脈を広げるためとか、職場の親睦を深めるためとか、儀礼的な飲み会(忘年会・新年会とか)、そういったものは不要ではないかということ。

飲み会がムダである論理的理屈

記事の中で、筆者は次のように飲み会がムダであることを説明し、「時間とお金を意識すれば人生は変わる」と述べています。

<飲み会で使うお金を運用に回してみたらどうなるか?> →1回5000円×月に8回断る=月額4万円の節約
もしこの4万円/月を、年利3%で20年運用すると1226万円(税引前)になります。

月に8回ということは、週に2回という仮定です。自分では考えられない頻度です。世間では、これくらいが標準なのでしょうか?月に4万円も飲み会に使うなんて、馬鹿らしいとしか言えない。

とにかく、それだけの金を運用に回せば、20年後に1000万円もこえるのです。つまり、今お金を使うということは、将来のお金を失っているということ。

たぶん、時間やお金がないという人は、上記のことを意識せずに、飲み会をはじめとすることに浪費しているのだと思います。

まさに、

こうして自分の時間とお金の使い方に敏感になることで、金銭面だけでなく人生そのものが豊かになると私は実感しています。

ということですね。

自分の人生と関係のないことからは極力手を引く

人生を有意義に生きるためには、お金と時間を大切にすること。なぜなら、どちらも限られた資源だらかです。

それならば、自分の人生と関係のないことからは、極力手を引いて関わらないようにすべきです。これこそが、「人生を半分降りる」であり、「セミリタイア」を目指す理由なのです。

人生の中で、いろいろとやらなければならないと思うことのほとんどはどうでもよいことなのです。もしも、余命1年と宣告されたらどうしますか?

たぶん、仕事も辞めるし、もちろん飲み会に行くこともないでしょう。そして、行ってみたかった場所に行ったり、やってみたかったことをやったり、見たかった映画を見たいし・・・と社会的なことや公的なことは遠景に遠のき、極めて個人的なことが目の前に浮き上がってくるはずです。

セミリタイアを目指すということは、こうした個人的な希望・願望をなによりも優先した人生を実現することを目指すということなのです。自由を目指して。