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人に「親切」にするのは意外と難しいという人間世界の現実

新型コロナウイルスの騒動が続く中、先日こんなことがありました。

ソフトバンクグループの孫正義社長が、新型コロナウイルスの検査を100万人に受けられるように検査キットを無償提供すると表明しました。

その後、むやみに検査を受けさせると、医療機関に人が殺到して「医療崩壊」につながるという批判を受け、撤回しています(その後、マスクの提供を表明)。

孫氏の行動は、果たして「親切心」によるものなのか、それとも「好感度」の向上のためなのか。それとも、その両方か。

仮に純粋な「親切心」から発出したものだとしても、そのやり方は意外と難しいことが分かります。もし、実際に行われていたとしたらどうなっていたでしょう。本当にヨーロッパで見られるような医療崩壊につながっていたかもしれません。

そう思うと、つくづく「親切」というのは意外と難しいものだ思います。

「良かれ」と思ってやったことが、結果として悪い結末を招いてしまうという例に歴史は事欠かないのですから。

ローマ皇帝ハドリアヌスの失敗

かつて、古代ローマ帝国の皇帝も「親切心」を発揮してしまったがために、失敗してしまった人がいます。

第14代皇帝のハドリアヌスです。ローマ史上「黄金の世紀」と呼ばれる最盛期に皇帝となった五賢帝の1人です。

あるとき、ハドリアヌスローマ市内の公衆浴場に行きました。ローマの公衆浴場は、ただ単に風呂に入るためだけではなく、サウナやマッサージ施設、運動ができる体育館も併設した一大アミューズメントパークでした。

ローマ皇帝たちは、市民のためにそんな公衆浴場を建てて贈るとともに、自らも足を運んで市民たちと一緒に湯につかっていたのです。今で言えば、アメリカ大統領が街中の銭湯に行くようなものでしょうか。警備がどうなっていたのか、不思議ですが。

ともかく、いうまでもなく「好感度アップ」のためではあったのです。

ある日、公衆浴場に行ったハドリアヌスは、体中に石けんを塗りたくって壁に体をこすりつけている老人を見ました。ハドリアヌスは、その老人がかつて自身が指揮した軍団に所属していた元部下であることに気づきます。

なぜそんなことをしているのかと尋ねると、背中の垢を落としてくれる人を雇う金がないと正直に告白したのです。古代では専用の鎌のようなもので垢を落とす習慣があったようです。それをやってくれる職人もいたようです。

すっかり同情したハドリアヌスは、この元部下に垢落とし専門の奴隷を、維持する費用つきで2人も贈ったのです。元部下の感謝感激を受けて、ハドリアヌスも満足したことでしょう。

ところが、あくる日に公衆浴場に行ったハドリアヌスが目にしたのは、壁という壁が、それに背中をこすりつけている老人で埋まった光景だったのです。

その光景を見た皇帝がどうしたのかは分かりませんが、老人たちのデモンストレーションは無駄に終わり、市民たちの笑いのネタになったということのようです。

これは笑い話で済んでいますが、帝政ローマ建国の祖ユリウス・カエサルはこう言っています。

いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時にまで遡れば、善き意志から発していたのであった。

人間世界の現実を見ると、はたと考えさせられてしまいます。

実際は「無邪気な親切心」ほど、たちの悪いものはないのです。なぜなら、当の本人も「善いこと」と信じて疑っていないのですから。

純粋な親切はあり得るのか?

そんな大それた親切でなくても、身近な親切というのもやっかいなものです。自分が良かれと思っても、他人にとっては「大きなお世話」になることはよくあることです。

そして、何にもまして私がキライなのはその親切心の裏に「感謝の要求」を嗅ぎつけるときです。

感謝の言葉を受けるのが目的となっていると言ってもよい。人に親切にしているのは、結局は、自分が満足したいがためなのです。人に親切にして感謝される自分に酔っているのですね。

私も人から親切にされたときは、礼儀として感謝の意を伝えますが、それ以上のことはありません。なんだか恩着せがましくされたくないのです。

親切をする者は、そこに何かしらの報酬を期待してはならないのです。それを期待していたとすれば、報酬を求める気持ちに裏打ちされた汚れたものになるのです。そのことを自覚しているならまだマシですが、それすら自覚せず自己満足している人間が大嫌いなのです。さらに「心からの善意」で良いことだと信じて疑わない鈍感さ!

だから、逆に自分が他人に親切にするときは「見返り」を期待した汚いものであることを自覚した上で実行するか、もしくは、親切にしたことで感謝されるどころか恨まれても仕方ないと思わなければならないのです。

「人には親切にしましょう」という標語が溢れていますが、人間世界の複雑さに反して、いかにモノゴトを単純に考えているかということが分かるのではないでしょうか。

人に親切にするというのは、意外と難しいものなのです。