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残業が続くと心身がつらくて「生きる意味」が分からなくなる

先月の4月から残業の日が続いています。仕事の定時は17時30分ですが、4月からの1カ月半あまり、20時や21時は普通で、それ以上になる日が続いています。

ブログを書く時間もなかなかとれなくなってしまいました。土日に書きためて予約投稿するのがやっとです。まあ、ブログを書くより残業した方が稼げるのは事実なんですけどね。

これくらいの残業をしている人は、ザラにいるでしょうから、特別多いというわけではないと思います。むしろ、それくらいならいいほうだという方もいるに違いありません。

とはいうものの、残業が続けばボディーブローのように効いてきます。からだもだるくしんどいのはもちろんのこと、「こころ」の方もしんどくなってきます。

会社と家の往復だけの日々・・・

残業がある日は家に帰っても、お風呂に入って晩御飯を食べて寝るだけ。そして、数時間たてば起床し、昨夜やれやれという思いで帰ってきた道を再び会社に向かうのです。

自分の時間があったものではありませんね。「社畜」という言葉がありますが、こうなってはまさに会社の「家畜」ですね。奴隷といってもよい。

哲学者ニーチェは、「自分の時間の3分の2を自分のために持っていないものは奴隷と同じである」と言いましたが、そのとおりですね。

こうなってくると、何のために生きているのか分からなくなってくるのです。生きるために働いているのか、働くために生きているのか・・・

こんな思いをしてまでも、生きることに意味はあるんだろうか。むしろ生きていなければ会社に行かなくて済むのになぁなどと考えてしまいます。これって結構アブナイのかな。

毎日、毎日どうでもよいことをし続ける日々が、あと何年続くのかと思うと絶望しかありません。

あぁ、もう嫌だ。

休日もモヤモヤする

ようやく休みになったとしても、モヤモヤは続きます。1週間終わると、からだが重くて仕方がない。残業が続くと、本当にぐったりしただけで休みが過ぎていきます。

さらに、日曜日が終わりに近づいてくると、仕事のことが頭をかすめ始める。先週やり残した仕事、今週やらなければならない仕事。スケジュールと期限というプレッシャーに追われる毎日・・・

これもしないといけない、あれもしないといけないと考え始めるとスッキリと休めません。休みの日まで、仕事に付きまとわれるなんて・・・

こうしたプレッシャーから解放されて、何も追われることのない日常を過ごしてみたい。それこそ、本当に生きているって言えるような気がするのですが。

日々、早くセミリタイアしたいという思いが大きくなってくる。一応15年後くらいを目標にしていますが、あと15年も働ける自信が正直ない。あと、10年?あと、5年?くらいが限界かもしれない。

あぁ、もう嫌だ。

セミリタイアを意識したことの代償

これまでも終電帰りが続く時期があったりしたことはあるので、今回が特別残業が多くつらいというわけではありません。

しかし、これまでは「会社に行って働く」ということが当たり前に思っていたので、そこまで絶望することもなかったのです。しようがないじゃないって感じで。

でも、今は「セミリタイア」を意識した考えで生きています。会社を辞めてもいいんだ、いずれ辞めるんだという考えが根底にあると、残業してまで生きていることがバカバカしくてしようがなくなってくる。

それでも歯を食いしばって頑張るしかないのか。セミリタイアを実現する日を夢見て・・・

できるだけ早くセミリタイアできるよう努力を続けるしかない。