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人生ですべきこと、すべきでないことの見極め方とは?

「人生で何をすべきか?」

誰でも1度は考えたことがあるのではないでしょうか。自分は、なんのために生きているのか、この人生にはどんな意味があるのか、たった1度与えられた人生をどのように生きるべきか・・・

人生で何をすべきかを考えることは、人生で何を「すべきでないか」を考えることと言ってもよいのですが、人生における難問の一つです。

私がセミリタイアを目指しているのも、人生を有意義に過ごしたいという思いが大きい。すべきこと、あるいはすべきでないことが分かれば、より時間を有意義に使うことができるでしょう。

そこで、今回は人生においてすべきこと、すべきでないことの見極め方を考えてみたいと思います。

「何をすべきか」は難しい

まず、人生において「何をすべきか」を考えてみましょう。

とはいったものの、これは非常に難しい。人それぞれ違うでしょうし、そもそも「すべき」と義務的に考えるのも違うような気がする。

本来、自分の人生は自分だけのものであり、何をしようと自由なはずです(もちろん、他人に害を与えない限り)

ですので、シンプルにしたいことをすればいいのではないかと思います。世界にあるあらゆる本を読みたいというものでもいいですし(たぶん、時間は全然足りない)、世界を旅して回りたいとか、哲学的に人生の意味を考えたいというものでもなんでもいい。

もし、1年後に死ぬとしたら何をしたいかを考えてみるといいのです。

私もセミリタイアしたいと思っていますが、セミリタイアしたあと何をしたいかはまだよくわかりません。なんとなく毎日を過ごしてしまいそうな気もしますが。それでもいいと思っています。なんせ時間はたっぷり確保できるでしょうから。人生でしたいことをゆっくり、じっくり考えることができるでしょう。

何を「すべきではないか」は簡単

一方、何をすべきではないかは簡単です。

もし、余命1年と言われたらどうするかを考えてみればよいのです。

まずもって、会社は即刻辞めるでしょう。会社で資料を作っている場合ではないですし、どうでもいい付き合い(飲み会)にも参加するべきではないからです。

前から、うすうす感じていたのですが、会社でどうでもいい資料を作るべきではないし、どうでもいい会議に出席すべきではないし、自分の人生となんの関係もないことに頭を使うべきではないし・・・

また、そんなに仲のいいわけでもない知り合いの結婚式にも出席すべきではないし、親戚の法事にも行くべきではない。

それから、社会問題も考えないでしょう。少子高齢化問題も、環境問題も、年金問題も、すべてが「どうでもいいから」。だって、1年後には死んでしまうのにそんなこと考える必要がないでしょう。

もし、「1年後に死ぬとしたら」という条件を付けて「何をすべきでないか」を考えますと、おもしろいことにこの世の偉大で崇高なこと(会社を代表とする社会全般)は遠景に遠のき、個人的な些細なことが前景に広がっていくのです。

生きる者全員に「余命」がある

ここまで、「余命1年」としたらという条件で考えてみましたが、それを3年、5年、10年と伸ばしてみましょう。

それでも、人生で「すべきでない」ことは変わらないはずです。

大病を患っていない人でも、全員に「余命」があります。それが、20年なのか、30年なのか40年なのかは分かりません。

仮に、平均寿命(だいたい80歳くらい)まで生きるとしたら、30歳の人は「余命50年」ということです。

人生の時間は有限であり、刻一刻と終わりは近付いてきています。

私の場合、余命宣告された場合に、まっさきにしようと思うのが「会社を辞める」ということです。つまり、「会社に行く」というのが、私が最も人生で「すべきでないこと」と思っていることなのです。

できるだけ早くセミリタイアして、人生ですべきことを探求していきたいですね。