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サラリーマン人生は"血を吐きながら続けるマラソン"か

人生を例える場合に、旅に例えることがあります。人生とは旅である、みたいな。

では、サラリーマン人生を例えると何になるのでしょう。少なくとも単純な「旅」ではない。そんな、風景を楽しむとかそんな余裕のあるものではありません。

なにせ、サラリーマンを待っているのは、「サービス残業」「パワハラ」「長時間労働」「理不尽な上司」「行きたくもない飲み会」・・・・・なんと過酷な道のりなのでしょう。

私はぴったりの表現を見つけました。それが「血を吐きながら続けるマラソン」なのです。どうです、ぴったりだとは思いませんか。

ウルトラセブン「血を吐きながら続けるマラソン

元々の出典は、特撮ヒーロー「ウルトラセブン」の第26話「超兵器R1号」という話です。

地球防衛軍は、宇宙からの侵略に備えて惑星攻撃用兵器「超兵器R1号」を作ります。隊員たちは、これで抑止力となって平和になると喜びます。

しかし、モロボシ・ダンウルトラセブン)だけは違いました。自分たちが強力な兵器をつくれば、敵はもっと強力な兵器をつくってくるだろうし、互いに競うように強力な兵器を作りあうことは「血を吐きながら続けるマラソン」だと言ったのです・・・

このあと、地球防衛軍は実験として超兵器R1号を使ってある惑星を破壊します。その惑星は生物がいないはずでしたが、実は生物がいてその生物がR1由来の放射能を吐きながら地球に襲来するのです。

ということで、「血を吐きながら続けるマラソン」とは人間社会の軍拡競争を批判した例えなのです。

ですので、サラリーマンの人生を例えたものでもなんでもないのですが、個人的にすごくしっくりきてしまったのです。

サラリーマンという過酷なランナー

考えてみれば、どんな会社なのか、どんな仕事なのかあまりよくわからないまま偶然入社した会社で40年以上も働き続けるのです。

そして、運が悪ければ、「パワハラ」「サービス残業」「長時間労働」といったものにさいなまれながらサラリーマン人生というマラソンを走らなければならない。

原則、途中で走るのを辞めることはできません。なぜなら、走るのを辞めれば生活ができなくなってしまうから。生きるためには、どんな"悪路"であろうと、血を吐きながらであろうと走り続けねばならない過酷なマラソンなのです。

日本の労働環境では、会社は簡単に従業員を解雇できません。会社は従業員の面倒を見てやるかわりに、少々理不尽な扱いをしてもよいという素地があります。なにせ、会社に殺生与奪権を握られている。

いわゆる日本的雇用というやつ(年功序列、終身雇用。とはいえ、最近は半ば崩壊しているらしいですが)で、ブラック企業が日本にはびこる元凶とも言える。

そうした環境の中で、わずかの給料で雑巾のように使い倒され、心身を消耗し、人生の時間を消耗し、そして人生を終えるのです。

まさに、"血を吐きながら続けるマラソン"そのものではないかと思うのです。運が悪ければ、血を吐いて倒れてしまうことでしょう。

ラソンを「棄権」する!

さらに、マラソンですから一応ゴールはある。定年です。しかし、これも「人生100年時代」などと体のいいことをいって、高齢になっても働かせようとしている。まさに「ムービング・ゴールポスト」!

私の場合は、定年まで少なくとも、あと30年以上あります。果てしがなさすぎて、この現実を直視することが苦痛です。あと、30年以上も走り続けろと?

もちろん、世の中にはマラソンが好きな人もいるでしょう。そういう人は、どうぞ楽しんで走ってくださいという感じですが、私は小学生のころからマラソンが大嫌いでしたね。

ということで、このマラソンを「棄権」することを計画しているのです。もちろん、そのために努力と冷徹な計算が必要なことはいうまでもありません。

ラソンを棄権したあとは、血を吐きながら走り続けている人たちを横目に、遊覧船にでも乗って、人生の景色を存分に楽しみたいと思っています。