仕事は人生の「ヒマつぶし」なのか?
仕事をリタイアすると「ヒマ」になる、とよく聞きます。人によっては暇すぎてまた仕事に復帰するという人もいるとか。
確かに普通に仕事をしていると、1日のうち3分の2くらいは仕事関連で埋まってしまいます。例え、労働時間が8時間だとしても、行き帰りの通勤時間や職場での飲み会なども仕事がなければ、なかったはずです。それらも「仕事」のうちと言えるでしょう。
そうすれば、日常のほとんどが仕事で埋まり、わずかな休日に家事や買い物や趣味に費やし、そしてまた平日が始まり・・・となります。
仕事がなくなれば、それらの時間がガラっと空くことになります。確かにその意味ではヒマになるんでしょうね。
とはいえ、では人生が仕事で埋まってしまってよいのかと言えば、それはイヤですね。
「仕事がないとヒマでしょうがないよ」という人は、仕事をヒマつぶしにしているのだろうか?
仕事をしていれば、余計なことを考えるヒマすらないのでその意味で楽なのかもしれません。でも、それでいつの間にか歳をとって、いつの間にか死の直前になっていた、ということになってもよいのでしょうか?
仕事にヒマつぶしの価値はあるか?
仕事が好きという人はいいでしょう。
しかし、私は仕事がイヤで仕方がありません。なぜといって、その中身が下らないというか、しょうもないというか・・・
世の中、本音と建前で動いているのは理解していますが、何かをするにも、表面上のキレイな大義名分や理屈を考えなければならないというのが、苦痛です。
「実態」というものが先にあって、後付けで「それっぽい」理由や理屈をこねくり回してくっつけるという虚しい作業。どうでもいいじゃありませんか、と言いたくなる。
心のなかで「なんでこんなことやっているんだろう。しょうもない。くだらない。」というつぶやきが止まりません。
昔、戦争もののドラマで「私はこんなことをするために生まれてきたのではありません!」というセリフがありましたが、まさにそんな気分。
こんなアホらしいことを考えるために、子どものころから勉強してきたんだろうか?という思いがフツフツと沸いてくる。
でも、周りを見れば、みんなマジメに議論しているのですから不思議でしようがない。みなさん、数十年後には死んでしまうのですぞ!さらには、50億年後には地球もなくなっているのですぞ!人生の時間をそんな「くらだらないこと」に使ってよいのですか!
まあそれが、「まともな大人」なのかもしれませんが・・・
こんな人間では、どうやら仕事を人生のヒマつぶしとして考えることはできなさそうです。
ヒマな人生でいいではないか?
仮に40歳でリタイアしたとすれば、人生の残り時間は30年~40年といったところでしょうか。改めて考えてみると確かに、ヒマになりすぎてしまうことを懸念するのも、さもアリなんとも思います。
こんな歌があります。
これは徳川慶喜の辞世の句です。私の好きな辞世の句の第3位でもあります。
https://tiberius-caesar.com/jiseinoku-best3
江戸幕府最後の将軍ですが、大政奉還して江戸幕府が滅んでからは隠居生活を送っていました。
大政奉還したときは、慶喜31歳の時です。その後は、蟄居して大正2年に77歳で亡くなるまで悠々自適な生活をしていたようです。ある意味アーリーリタイアですね。
確かに30代で隠居して、その後の40年余りは「思えば長き」月日だったのかもしれません。
でも、仕事に明け暮れていつの間にか死の直前になっていた、というものよりははるかに豊かな人生ではないかと思うのです。
確かに、仕事中心の生活であれば余計なことを考えることもなく、あっという間に時間は過ぎていくことでしょう。その点、ヒマつぶしを考える必要もなく「楽」かもしれません。
でも、それは人生を生きたと言えるのでしょうか。
生きることをやめる土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか
慶喜はカメラを趣味にしていたことで有名です。ほかにも狩猟や囲碁などにも没頭する生活を送っていたようです。
ヒマということは、いろいろなことができるということでもあるのです。そして、自分の人生を考える時間もたっぷりあります。
どうせ80年生きるのであれば、イヤな仕事で埋めるのではなく、仕事以外のことでヒマつぶしをすればいいのです。同じ80年を生きるのであれば、したくもない仕事をして時間をつぶすよりは、ヒマでのんびりした生活のほうがはるかにマシだと思うのです。
人生の最期に振り返ってみて、「あっという間に終わってしまったな」ではなくて、「いろいろあって結構長い月日を過ごしたな」というほうが、豊かな人生を生きたことにはならないでしょうか。