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忘年会に行きたくない

今年も、またイヤな季節がやってきました。そう、「忘年会」のシーズン到来です。サラリーマンである限り、逃れられない悪しき慣習、それが忘年会なのです。

どこもかしこも、「忘年会」だらけ

なぜ、忘年会などやるのでしょうか。どこの、店も「忘年会」を謳った飲み放題コースを展開しています。何も考えていないサラリーマンどもから、金を巻き上げるチャンス到来とばかりにしか見えないのは、私だけでしょうか。

彼らにしてみれば、「カモ」が「ネギ」背負ってきたみたいなものでしょう。

忘年会と称して、ただ「飲みたい」がために、小汚い居酒屋にお金を落としてくれるのですから、儲けもんなのは確かだと思います。

ですから、ここぞとばかりに儲けようと必死なのでしょう。出てくる料理は、別に普段と変わらないのに。

あんなコースで、4千円や5千円を取られるのですから、まったくいい商売だと思います。そして、みんななぜ疑いもなくポンポン払うのでしょうか。酒の力がそうさせるのか、いまだもって不明です。

「暴力的」な和の雰囲気

私が、飲み会の類が嫌いなのは、これまで何度か書いてきました。それは、さきに書いたように、ボッタクリのようなお金を払わなければいけないこともありますし、精神的な理由もあります。

飲み会の何が嫌なのかと言えば、その「暴力的」なまでの「和」の雰囲気です。中島義道氏の「人生を半分降りる」に、このことを的確に描写した部分がありますので、少々長いですが引用したいと思います。

少し遅れて行ったのですが、扉を開けるやその場に充満している「暴力的に作りあげられた陽気な雰囲気」に、まず戸惑いを覚えました。中年や初老の美しいとは言えない男たちが肩をたたきあい、ビールをつぎあって談笑している。あちこちから高い笑い声があがる。まさしく、いっさいの陰気なことを真面目なことを吹き飛ばす暴力的な「和」の空気が充満している。

まさに、このとおりだと思います。その場では、だれもがおっちょこちょいで不真面目でノリのいいやつを演じなければならないのです。なんでもかんでも、おもしろおかしく笑いとばす、そんな場になっているのです。

ですから、そこで、「実は会社を辞めたいと思っていまして・・・」とか、「こういう場が嫌で嫌でしかたなくて・・・」など、そんなことを言わせないような空気感が出来上がっている。どんなことを言おうと、おもしろおかしい話に転換されてしまう、変質させてしまう、そんな圧力がかかっているのです。

そして、忘年会では、「余興」という名のしょうもないオマケまでついてくるのですから、「暴力的な和の雰囲気」ここに極まれりといった感じです。

私には、それがしんどくて、しんどくて仕方ないのです。自分から何かはなしたいこともないので、適当に話を聞いている「ふり」をしているのが、とてもしんどい。「あー、はやく終わればいいのに、なんて時間のムダなのだ」と思い続けています。

サラリーマンである限り避けられない

サラリーマンである限り、会社という組織に属している限り、忘年会はじめ飲み会を避けることはできないようです。なにかにつけて、「飲み会」を設定したがる。これって、サラリーマンの職業病なのでしょうか。

こうなったら、資産をためて、さっさと会社をやめるしか、この地獄から逃れるすべはありません。

生産性のない無益な時間のとお金の浪費ほど、もったいないことはありません。

早くこのような地獄から抜け出し、なににも縛られない「自由」を手に入れたいものです。

飲み会に行きたくないという話をこんなに書いていました。やっぱりイヤですね・・・

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