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会社の同期の休職に思う働くことの意味

風のうわさで、会社の同期の1人が休職していることを知りました。

その同期とは特段親しいわけではありませんが、顔を合わせれば世間話をするくらいはしておりました。会社での交友関係が極めて狭い私の数少ない「顔見知り」の1人ではありました。

最後に話をしたのは、春先くらいでしょうか。確かにそのころもやや疲れた感じはありましたが、休職したのはどうやら夏ころからのようです。理由は分かりませんが、おそらくメンタルによるものでしょう。

休職はよくあるとニュースなどでは聞いていましたが、見知った人が休職していたのは初めてで正直驚きがありました。

そして、改めて「働くこと」「仕事」の意味を考えてしまいました。

メンタルがやられてしまうわけは?

メンタル不調を理由とした休職は、年々増えているというような話はよくあります。

でも、ニュースで知っているのと、実際に話をして顔も知っている生身の人間がそうなったというのはまた違う印象を持たずにはいられません。

私の同期の場合は、理由は何かは詳しくは知りませんが、おそらくメンタル不調であろうと思います。最後に話をしたときも疲れているような感じでした。

そのときの話では、今年度になって彼の部署では大幅な人事異動があり、所属する係では彼を除いて係長も含めた全員が一気に異動になったとのこと。彼1人に大きな負担がかかっていたことは想像に難くありません。

そんな人事異動をした人事部もどうかと思いますが、ストレスの大きい状態が続けば心身に変調をきたすのも当然というもの。

多忙が続くと、自分はこんなことをするために生きているのだろうかという思いが、だんだん思考を占めるようになってくる。

なぜこんな資料を作らなければならないのか、なぜこんな作業をしなければならないのか、なぜこんなことを考えなければならないのか、なぜこんな商品を売らなければならないのか・・・多くのことは私の人生にとっては「どうでもよいこと」なのです。なのに、心身がこれほどしんどい、つらいのです。だんだん、アホらしくなってくる。

残業が続くと生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってきます。

私も半分メンタル不調なのかもしれませんね。自覚しているだけまだ程度は軽い?

そうした状態が極限まで行くと、ぷっつりと糸が切れてしまうようにメンタル不調になってしまうのかもしれません。

健康と引き換えにするものではない

仕事の意味とは、自分の時間を売って対価としてのお金を受け取ることにほかなりません。

私は、今の仕事についてまったく愛着もなく、思い入れもなく、やることだけやって月給がもらえればそれでよいと思っています。仕事にやりがいも面白さも求めておりません。そうやって割り切っているつもりですが、どうしても雑念が頭をよぎる。

「なんで自分の人生に関係のないことに、こんなに時間を費やしてしなければならないのか」と。

まあ、そんな感じですから健康を害してまでやりたいとは露ほど思いません。肉体上であろうと、精神上の健康であろうと。

でも多くの人はそれでも働き続けます。辞めてしまうと生活の糧を失ってしまうとか、キャリアが終わってしまうからという理由が多いのではないのでしょうか。

仕事はイヤだが、生活のためには働かなくてはならない。仕事を辞められない。でもやっぱり仕事はイヤだ・・・という堂々巡り。この輪廻から抜け出す希望の光が私にとっては「セミリタイア」というものだったわけで・・・

明日は我が身かもしれない

メンタル不調による休職は、決して他人事ではないと思います。誰にでも起こりうる事故のようなものかもしれません。まさに、明日は我が身。

でも、休職をしたらしたでそれもいいのではないかとも思いました。今後出世したいとか野心のある人には、「キャリアに傷がつく」ということになるのかもしれませんが、私のようにそもそもどうでもいいと思っているものにとっては、それもありかもと思ってしまうのです。

復職したとしても、そんな「キズもの」をまた多忙な部署に配置することもないでしょうし、期待もされないでしょうから、ある意味気楽になるかもしれません。

そう思うと最終手段としては、最後どうにもならなくなれば休職してもいいじゃないという感じで少し気楽になった気がします。

なにせ私にとっては、セミリタイアするための資金を得るためだけに働いているのですから。用が済めば捨てればよいのです。

セミリタイアを目指している否かに関わらず「会社への依存度」を下げておくことは安全保障上重要だと思います。

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