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人生100年時代に資産運用による「自助努力」は必須か

先日、こんなニュースを読みました。

人生100年時代に自助努力を、と国が示して怒っている人は、「一部」と「全部」の大違いが分かっていない

金融庁のワーキンググループが高齢化社会を迎えるにあたり、個人個人が備える(自助)の取組が必要だという報告を出したらしい。つまり、年金だけをあてにせず自分で資産運用するなどして準備することが必要というようなことを報告しているらしい。

そうすると、ネットで批判が巻き起こったそうです。

「今の年寄りのための年金保険料を払えというが、若者には払えないから自分で備えろというのか、バカなの?」

「死ぬまで働けというんだろ、知ってる」 (上記の記事から引用、以下同じ)

まあ、表面的に読みとれば、国ではどうにもできないから(年金制度もどうなるか分からない?)、自分で老後のお金は用意しておいてねっと言われているような感じです。そのように受け止めた方が、上記のような批判をしているのでしょう。

しかし、上記の記事の著者も言うように、上述のような批判はメディアによる「印象」によるものではないかと思います。

年金制度の存続の有無に関わらず自分で備えをするというのは、そんなにおかしいことではないと思うのです。

「一部」を自助で用意する

上記の記事の筆者は、今回金融庁が示した報告は老後のお金を「全部」自分で備えろという意味ではなく、「一部」備えろという意味だと述べています。

最低限のものは年金でカバーするが、それ以外に趣味や娯楽・レジャーなど人生を楽しむためのお金は自分で用意してほしいという意味とのこと。

長生きの時代になるので、「老後」が長くなりますから、生活費がかかるのはもちろん、ただ生きているだけではつまらないでしょうから、何か「活動」をするお金も必要。そのお金は今から用意しておいてねということらしい。

もちろん、つみたてNISAやイデコで積み立てをしておけば、そういったお金にも使えますし、純粋な生活費としてもバックアップ機能を果たすことを狙っているものと思われます。

ですので、年金制度が危ないから自助でお金を用意しておけというのは、一面しか見ていないと言えるのではないでしょうか。

年金制度は破綻する?

とはいえ、今回の金融庁の報告に対する批判の根底にあるのは、「年金制度」を保障できないから自分でお金は用意しておいてと言われているのではないかということ。そして、そんな無責任に年金が払えないというのなら年金保険料を徴収するなというロジックです。

しかし、今回の報告では特に年金制度に言及されているわけではありません。年金は厚生労働省の所管ですから、金融庁が口を出せるわけありません。

上記の記事の筆者によれば、

公的年金給付はこれからも終身で死ぬまで支払い続けることをやめません。破たんもしません。そんなことは一言も言っていません。 公的年金に破たんリスクのほとんどないことは5年前の財政検証結果でも明らかですし、今年も同様の結果が出るはずです。(簡単に言うと、保険料収入と年金給付はバランスさせる仕組みなので破たんしたくてもしようがない。その代わり10~15%程度の給付水準を引き下げる見込み)

私も年金制度について詳しいわけではありませんので、なんとも言えませんが、年金制度は完全になくなってしまう(=破綻する)可能性は低いのではないかと思うのです。ただ、破綻のリスクがほとんどないというのは言い過ぎな気もしますが。

その代わり、筆者の言うとおり受給年齢の引き上げや支給額の引き下げは行われるでしょう。

保険料負担者(=現役世代)は減る一方で、受給者は増える一方なのですから、制度を維持するためには、保険料を引き上げるか、支給額を減らすしか方法がないのですから。

そういう意味で、年金制度がどうなるかという不安があることは確かです。

真の「経済的独立」は国家から

セミリタイアやアーリーリタイアに関連するワードとして、「経済的独立」というものがあります。

普通は会社に頼らずとも生きていけるという意味ですが、本当の意味での経済的独立とは、「国家」に頼らずとも生きていけるというものではないかと思うのです。

ですから、自助をしろと言われて怒るのではなく、年金制度が不安だと思うなら、例えそういう状況(年金制度がなくなる)になったとしても生きていけるように準備しておけば安心だと思って、少しずつでも投資を始めることが大事ではないかと思うのです。

私もセミリタイアを目指していますが、最終的には本当の意味での「経済的独立」を果たせるようにがんばりたいと思います。