私の好きな「辞世の句」ベスト3を紹介します!
突然ですが、今回はわたしの好きな「辞世の句」を紹介したいと思います。
辞世の句というのは、読んで字のごとく「この世」を「辞す」ときに読む歌のことです。
早い話が、この世に別れを告げるときに残す歌ということですね。
私が辞世の句に興味を持っているのは、人生の最後に詠む歌にこそ、その人の人生観が表れていると思うからです。長かった人生、短かった人生、良いこと悪いことがあった人生・・・そうした人生の最後を「31字」で表現するのです。
人生の終わりに至った時、人は何を思うのでしょうか。
第3位 徳川慶喜
まずご紹介する私の好きな辞世の句の第3位は、「最後の将軍」徳川慶喜の辞世の句です。
江戸幕府最後の将軍として有名な人ですが、実は大正2年まで生きています。江戸幕府が滅んでからは隠居生活を送っていました(ある意味アーリーリタイア生活ですね)
カメラを趣味としてたというのは有名な話です。完全に公職を離れて悠々自適に過ごしていたんでしょうね。
そんな彼が残した辞世の句がこちら。
決して技巧的ではなく、素朴な感じが好きなポイントです。辞世の句では「この世」のことを、「短い夢」とか「儚い幻」と表現することは多いです。
そうはいってもいろいろあって、振り返ってみれば長い月日だったというのが、人生の最後に思うことなのでしょうか。
第2位 細川ガラシャ
第2位は、細川ガラシャです。
細川ガラシャは、織田信長に対して謀反を起こした(本能寺の変)ことで有名な明智光秀の娘です。
細川家(のちの熊本藩の祖)に嫁いでいましたが、実の父親が謀反人となったため、幽閉されるなどつらい境遇だったようです。
そんな中、キリスト教に出会い洗礼を受けて「ガラシャ」という洗礼名を受けています。
そんな彼女の最期は悲劇的なものでした。徳川家康と石田三成の対立が決定的となり、のちに関ヶ原の戦いへとつながっていくのですが、そんな中、石田三成は徳川側につこうとする大名の妻子を人質に取ろうとします。
彼女の夫も徳川方と見られていましたので、石田三成は大阪の細川邸に追手を差し向けます。
人質となり夫の行動の自由がなくなることを恐れた彼女は、人質になる前に自害を決断します。しかし、キリスト教では自殺は認められていないため、家臣に槍で胸を突かせたとも言われています。
そんな細川ガラシャの辞世の句がこちら。
とても美しく品のある歌ではないでしょうか。細川ガラシャの気高さが伝わってくるような歌です。
第1位 足利義政
私が好きな辞世の句の第1位は、室町幕府8代将軍の足利義政です。
政治に関心がなく、もっぱら文化活動に注力して、銀閣寺を建てたことで有名な人です。
政治に関心が薄かったため応仁の乱が起こり、室町幕府の衰退へと向かっていきます。
そんな足利義政が残した辞世の句がこちら。
この世の「真実」を知ってしまったかのような歌ですね。所詮、この世のすべては夢であり幻なのだと。それを悟ってしまった今となっては、心配事も喜びもなくなってしまったといった感じでしょうか。
もう、現実がどうなろうとどうでもよい。どうせ皆消えてしまうのだからということか。考えてみれば、人類もいつか滅亡するでしょうし、地球も50億年くらいするとなくなってしまうらしい。そう考えると、この世のほとんどのことはどうでもよいことばかりではないでしょうか。
行間に漂うのは、まさに「諦観」ではないかと思うのです。
人生を有意義に生きたい
人生の最後に感じるのは、「人生とは、はかないものだ」という想いなのでしょうか。
「その時」になってみなければ、どのような思いを抱くことになるのかは分かりません。
しかし、はっきりしていることは、いずれ「その時」はやってくるということ。人生は有限であるということです。
刻一刻と残された時間は短くなっています。夢であろうが幻であろうが、せっかくならば有意義に生きたいと思うのです。
そうならば、したくないことやする必要のないことからはなるべく関わらないようにして、自分の好きなように時間を使えるようにするべきです。
そんな思いから、私はセミリタイアを目指しているのです。
人生の終わりには、是非とも自分の人生を思う通りに使いきって「美しく」散っていけたらいいなと思います。