サラリーマンにとって飲み会に参加することに意味はあるのか?
先日、またしても私の嫌いな飲み会がありました。
所属している部署で今年の大きな案件が終わったので、その打ち上げというわけです(私は"打ち上げ"なるものも大嫌いです。ロケットを打ち上げるわけでもあるまいし。)
私はこれまで何度か述べてきたように「飲み会」が大嫌いです。雰囲気がイヤというのもありますが、なによりアルコールがダメなのです。
そんな酒が飲めない飲み会嫌いが、飲み会に参加することに意味はあるのでしょうか。結論から言えば、"ほとんどないが当面の間の安全保障のために必要"となります。
なぜ飲み会をするのか?
そもそも、なぜ飲み会をするのか?
今回の飲み会も、当初はとくに何もしない雰囲気だったのですが、部長の一声でやることに。余計なことを言いやがって【怒】。
自分は部下のことを気にかけているというアピールに過ぎない。他人を思いやっているように見えて、その実、単に自分が満足したいだけであり、自分が気分よくなりたいがためなのです。ハタ迷惑もよいところ。
自分はよいことをしていると思っているのだから、余計にたちが悪い。
由来はよく分かりませんが、こんな言葉があります。
地獄への道は善意によって敷き詰められている。
まあ、要するに「飲みたい」だけなのでしょう。
それに付き合わされるのも勘弁してほしいものです。
飲み会の意義とは?
それで、飲み会に参加する意義はあるのでしょうか。
私も以前は、最初の1杯だけビールを飲んだりしていましたが、最近は飲みたいと思わないものを無理に飲むのもアホらしくなってきましたので、最初から飲まないようにしています。
最初から最後までウーロン茶で通します。
すると、当然のことながら飲み放題と言っても全くの「損」です。どうせ、ウーロン茶なんてペットボトルから注いでいるだけでしょうから!
そうでなくても、飲み放題を考慮しても、どう考えても4,000円や5,000円するとは思えない料理なのですから、ハナからお金をドブに捨てているようなものではす(4~5千円出せば、レストランでそこそこのステーキも食べられるでしょうに)
金銭的にはまったく満足いくようなものではなく、対価に見合う価値はないと言ってもよいでしょう。
では、なぜ飲み会に参加するのか?
それは、「安全保障」のためです。それも「当面の」という注が付きますが。
要するに仲間はずれにされないため、仕事がやりにくくならないため、ということくらいの意味しかありません。
もちろん、そういった「付き合い」を一切排除することもやろうと思えば可能ですが、現実的にはなかなか難しい。”場の空気”を濁らせる者は社会では鼻つまみ者にされるのです。
そうなりたくなければ「安全保障費」と思って、付き合うしかないのでしょうね。もちろん、セミリタイアするまでの「当面の間」の措置ですが。
飲み会の非生産性については考察のとおりです。