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【人はなぜ歩くのか?】聖なる巡礼路~カミーノ・デ・サンティアゴ1500km

人は人生に迷ったときは、「ただ歩く」という行動に出るらしい。

NHK-BSの番組で「聖なる巡礼路を行く~カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km」という3回シリーズのドキュメンタリーを見ました。

「カミーノ・デ・サンティアゴ」とは、サンティアゴ巡礼路という意味です。

これは、スペイン西部にある聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という大聖堂を目指して、フランスからスペインを横断する巡礼の道なのです。

その道は、なんと1500kmにもなり、全行程を徒歩で踏破しようとすれば2カ月以上かかるという果てしない旅でもあるのです。

この番組では、この巡礼に参加した一人の日本人男性の目を通じて、この巡礼の旅をしている様々な人々、国籍も、肌の色も違う様々な人々が、なぜこの過酷な旅をしているのかを見つめる内容となっていました。

それはある意味自分の人生観を問い直す旅でもあったのです。

なぜ巡礼の路を行くのか?

巡礼の旅には、様々な背景を持つ人がいますが、その中で特徴的なのは、「自分の人生を見つめ直す」というもの。

2カ月以上もひたすら歩き続けることになるのです。自然、その道中は自分との対話をすることになるのです。

これまでの人生のこと、そしてこれからの人生について、何の邪魔も入らないところで真摯に向き合うことになるのでしょう。

特に多いという印象を持ったのが、仕事ばかりの人生を変えたいという人です。

ある男性は、飲食店を経営していたが、多忙を極める日々が何年も続き、ついに彼の心臓が悲鳴を上げ病に倒れたのです。それを機に、店は手放して巡礼に参加したそうです。

「これまで自分のための時間を作ってこなかったのです。これからの人生をどう生きるべきか、あてがあるわけではありませんが、巡礼の道を行けば何かつかめるかもしれないと思ったのです。」

また、こんなことを言っている男性もいました。

「ここでやるべきことは、ただ足を前に踏み出すことだけです。そうやっていると、様々な悩みが遠くへ過ぎ去って、心の中がきれいになっていく感じがするのです。」

そして、これまた別の男性の言葉ですが、次の言葉がとても印象に残りました。

「自由になるために歩いているのさ。」

自分が生きているという感覚

仕事ばかりの人生で、自分のために生きてこなかった・・・そんな思いを持つ人が多く巡礼の道を目指すのかもしれません。

巡礼の道ですが、決して平たんなものではありません。1000km以上もありますし、フランスとスペインを分かつピレネー山脈という難所もあります。決して軽い気持ちで行くことができるものではないのです。

それでも、なぜ人々はその道を行くのか?

そこには「自分の足で歩く」という感じと、「自分の時間を生きる」という感覚があるんだと思います。

他人から、会社から、社会から強制されて生きているのではなく、一歩一歩自らの足で歩くこと。これこそが、「生きている」証であり、それを確かめるために歩いているのではないかと思いました。

思えば、セミリタイアも巡礼の道に似ているかもしれないと思います。

普通に会社勤めをしているほうが、実は楽な生き方なのかもしれません。クビにさえならなければお給料は毎月振り込まれますし、「勤め人」ということで世間体も保てます。

それを捨ててあえて「厳しい道」を歩くことにしたのがセミリタイアかもしれません。ほかの人から見れば、なんでわざわざそんな道を選ぶのかと思われるかもしれませんが、そこには確かに自分の足で歩いているという感覚と自分だけの人生を生きているという確かな感覚が生まれるのではないでしょうか。

サンティアゴ巡礼路のゴールには、すばらしい大聖堂と踏破した人にしか持てない達成感が待っていました。セミリタイアという人生を選んだ場合には、どのようなゴールが待っているのでしょう?

それはまだ分かりません。