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セミリタイアという生き方は「ストア派」なのか「エピクロス派」なのか?

ストア派」と「エピクロス派」というものをご存知でしょうか。

これらは古代ギリシアに始まる哲学で、どのように生きるかを考えたものといってもよい。

一般的にストア派は、理性によって生きることを是とし、「禁欲主義」的な生き方を理想としています。いわゆる「ストイック」の源流でもあります。

一方、エピクロス派は、「快楽主義」と言われ、個人の快楽を追求することが大事だと考えます。

セミリタイアも生き方の一つですが、果たしてセミリタイアという生き方は「ストア派」に属するのか、「エピクロス派」に属するのか、ふと気になったので考えてみることにしました。

ストア派的な側面

セミリタイアという生き方は、ストア派の特徴を持っています。

何と言っても、セミリタイア生活においては、徹底的に生活費を抑える必要がありますから、ムダ使いはせずに質素な生活をすることになります。

このためには、理性で自分の欲望(物欲とか)を克服していくことが必要です。また、資産管理などもする必要がありますから、セミリタイア生活においては、かなり高いレベルの自己コントロール能力が求められるのです。

その意味で、セミリタイアという生き方は「ストイック」、つまりストア派的ということができるでしょう。

また、ストア派では、「自然に従って生きよ」ということを信条としていて、どういう意味かというと、

理性に従って生きることで、世の中の時代の流れとは関係のない独立した自由を得ることができる。

ということです。

セミリタイア生活を送れば、自然と世の中の流れには乗らないことになりますから、真の意味での自由を得ることができる、そう考えればセミリタイアはストア派的ということができるでしょう。

エピクロス派的な側面

一方で、セミリタイア生活はエピクロス派的な側面もあります。

まず、なんといっても「会社に行きたくない」という欲求を追求したものであること。

さらに、「セミ」なのでアルバイトなどをするとしても、多くの自由な時間を確保することができること。つまり、余暇を楽しむという快楽を追求することにほかならないのです。

ただ、エピクロス派の求める快楽も単なる「快楽」ではありません。

エピクロス派では、「隠れて生きよ」ということを基本的な行動信条としていています。どういうことかと言うと、

政治や社会などの面倒さから隠れて、質素な生活を送り、心の静けさと安らぎを守るべき

ということです。つまり、快楽主義といっても、例えば物欲や自己顕示欲を満たすといった「世俗的な快楽」を追求することではなく、「心の静けさ、平穏」を求めるという快楽を追求しているのです。

その意味で、セミリタイア生活というのは、まさに「エピクロス派」の目指す生き方そのものではないでしょうか。

会社や世間という面倒なものから隠れて質素な生活を送ることで、心の静けさと安らぎを得ることができるのですから。言い換えれば、「人生を半分降りる」という生き方と言うこともできるでしょう。

ストア派的でもありエピクロス派でもある

セミリタイア生活が「ストア派」なのか、「エピクロス派」なのか考えてみましたが、どちらの要素もあるように思われます。

おそらく、はっきりこっちと分けることはできないハイブリッド的な生き方なのかもしれません。

ただ、個人的にはやはりエピクロス派的な要素が強いように思います。なんといっても、社会や俗世間から一定の距離を取りたいというのが、そもそもの私のセミリタイア願望の始まりでもあったので。

心の静けさと安らぎ、平穏が欲しいという快楽を求めているのが、まず第一に来る。そして、それを達成するためには、自然とストア派にもならざるを得ないという感じ。

また、両派に共通しているのは、個人が自由と幸せを得ることが重要だと考えていること。その意味で、両派は相反することなく、セミリタイアという生き方にはピッタリな生き方でもあるのです。