月10万円の生活は「楽しくない」のか?
先日、こんな記事を読みました。
「サラリーマンは自由がない」30歳セミリタイアを目指す24歳にFPが言いたいこと
ファイナンシャルプランナーが相談に答えるというもので、相談者は24歳のサラリーマン。親から暦年贈与を受けて、現在も年100万円の贈与を受けているそう。資産は3000万円あり、30歳のときに5000万円にしてセミリタイアしたいという計画です。
3000万円を運用に回す、生活費は年120万円程度ということ、また、年100万円ほどの収入で働きたいというもので、個人的には「セミリタイア可能」ではないかと思います。
で、気になったのはファイナンシャルプランナーの「大きなお世話」な回答内容です。セミリタイア、あるいはFIREに対する世間の「マトモ」な見方が改めて分かるものだったからです。
年間120万円で楽しいですか?
FPさんは次のようにのたまいます。
世間知らずの甘えん坊だと。 苦労もなく24歳で3000万円の財産を暦年贈与で得て、そして、24歳の若さであるにもかかわらず年間120万円で生活!楽しいですか?ただただ時間を浪費していませんか?いや浪費しているはずです。しててほしい……という声が聞こえてきそうです。
年間120万円で生活して何が悪いのでしょうか?何が「楽しいか」などということは人それぞれなのです。
他人が楽しいことは自分にとって楽しくないことかもしれず、自分が楽しいことは他人は楽しくないかもしれない。そんなこと、小学生でも分かろうと言うもの。
FPさんの言う「楽しい」生活とは、どんな生活なのでしょう。車を買うことか。飲み会に行ったり、カラオケに行ったりすることか。行列のできるお店に食事に行くことか。私からすると、なんと軽薄な生活かと思いますが・・・
そんな生活をしている人よりもむしろ、資産や生活の設計を考えている相談者のほうがよっぽどエライと思います。
世間的には、質素で静かな生活などというものはクスリにもしたくないのでしょうね。休みとなれば出かけずにはいられない、そんな人が普通の人なんでしょうね。
豊かな人生とは?
さらに、FP氏は「5000万円の資産を築き、あとは少しの労働で年間200万円の支出で生活することを一生続けるのは計算上は可能と思います。」と述べた後、 次のようにのたまいます。
人生の面白さは様々なライフイベントがあることや、思い通りにならないことが起こるからこその味わいがあるものと思います。そして、人の役に立つこと、貢献すること、やりがいのある仕事をみつけること、愛すること、愛されることを通じて、豊かな人生を送るという視点に立ったとき、今という時間が将来において非常に重要になってくると思います。
一言で言えば「ウルセエ」ですかね。キレイごと並べてんじゃねーよ、って感じですかね。
人の役に立つこと?貢献すること?やりがいのある仕事?そんなもの、いらない、したくないからセミリタイアしたいと言っているのです。
FPとして求められていることは、「計算上は可能です」だけのはずでは?そのうえで、「豊かな人生」などというものを大上段に語るというのは傲慢ではないでしょうか。
暗に「普通に」働くことを勧めているように読めますが、では、60歳まで(もしかして70歳?)満員電車に揺られ、行きたくもない飲み会に行き、職場の人間関係に苦しむ人生は、「豊かな人生」なのでしょうか?
相談者は「会社勤めでは自由がない」と感じているのですから、会社から解放されることが「豊かな人生」と考えているのではないかと思います。
「楽しいこと」が人それぞれであるように、「豊かな人生」も人それぞれ自分で決めることです。
セミリタイアは世間で受け入れらない
セミリタイアしようとすると、FPのようになにかと言って止めようとする人が出てくるのではないかと思います。
「まあまあ、お若いの。悪いことは言わないから普通に働きなさい」「そんな、甘い考えでうまくいくはずがない」という「オマエの為を思って言ってやってるんだ」という感じでたたみかけてくる。
でも、オマエの為を思ってと言いつつ、その実、「オマエだけにそんな良い思いをさせられるか」という思いを「世間」という隠れ蓑を使って吐きだしているのです。
その感じを太宰治はうまく描いています。
世間とは、いつたい、何の事でせう。人間の複数でせうか。どこに、その世間といふものの実態があるのでせう。―(略)―「世間といふのは、君ぢやないか。」といふ言葉が、舌の先まで出かかつて、堀木を怒らせるのがイヤで、ひつこめました。 (それは世間が、ゆるさない。) (世間ぢやない。あなたが、ゆるさないのでせう?) (そんな事をすると、世間からひどい目に逢うぞ。) (世間ぢやない。あなたでせう?) (今に世間から葬られる。) (世間ぢやない。葬るのは、あなたでせう?)
今回の記事でも、やはり、セミリタイアという生き方は世間では受け入れられるものではないことが改めて分かりましたね。
「寂しい人生」「かわいそうな人」・・・そんなイメージでしょうか。
やはり「みんながセリタイアすると社会が成り立たなくなる」という心配は杞憂のようです。セミリタイアが「マトモではない」と思われているのですから。